非常に厳しくなる畳需要

【非常に厳しくなる畳業界を受けて】

昨今の畳需要減少によって私がいる熊本県八代市のいぐさ業界は

窮地に立たされている。

そこで、私が社会人になってから感じた畳需要の減少を

遠慮なしで記事としてまとめる。


◉畳に対するイメージの悪さ

これが畳離れの引き金となっている。

これは私の体験にも重なるのだが、マンションの一室にある畳で

幼少期から小学校低学年まではおもちゃの収集や勉強、睡眠時に畳の上で

大半の時間を過ごしたように記憶している。

その時は畳に対しては生活に当たり前にあるもので、

その存在すら意識したことがなかった。

しかし、中学生あたりからか畳の部屋に入ると擦り切れた畳から出るいぐさのささくれが体にまとわりつくようになった。

畳の見た目についても、黒い線がたくさん見受けられるようになり

さらには、集会室など多くの人が集まる畳の場も同様に

綺麗なものとは思えなかった。

その頃から畳に対する印象は正直よくなかった。

私は畳で育ってきたが、それらは家庭や集会室などでも畳替えが長らくされなかった状態で過ごすうちに「畳=不衛生なもの」という認識が育まれてしまった。


国内で多用されているのは中国製のいぐさを用いた畳

大学生になってから知ったのだが、私が育ったマンションの畳は

安価な中国産の畳であり、現在流通している畳の多くは中国で栽培された安価ないぐさを使用した畳である。

そのため、多くの方が私と同様に自宅の畳が中国産であることが

知られていないと思われる。国産のいぐさを用いた畳と比較して耐久性は

脆く、ささくれや黒い筋は多く発生する。これはいぐさの生育環境や

畳表を製織する技術にも関わるのだが、ここでは説明は控える。

話を戻すと、自分が中国産の畳で過ごしたなんて思いもしておらず、

本物の畳で過ごしている日本人の方がむしろ少ないと知った時は

驚いた。そもそも畳は日本のものであり、

中国製いぐさを用いた畳の存在すら疑っていなかった。

ただし、中国製のいぐさを用いた畳の存在を否定するつもりはない。

ポイントなのは、畳が使い込まれており、畳の替え時にもかかわらず放置されている状態が畳に対する嫌悪感を生み出すのではないかと思っている。

◉畳が張り替えられない理由:ランニングコスト

「畳の表面は新しく張り替える事ができる」

今となっては身近ではなくなった「表替え」をしらない方が多い。

そんな世の中で、「表替え」の仕事があっても

畳が「国産畳」に変えられなかった事実を伝えてきた。

では、なぜ畳は変えられないのか。

「ランニングコスト」の発生と関係していると考える。

国産の20年ほど長持ちする畳は、表替えで1畳35,000円は最低でも要する。

一方で、中国産の安価な畳表は5年ほどの耐久力で1畳当たり5,000円ほどである。

6畳の部屋で換算すると、国産は30,000円。国産は210,000円である。

しかしながら、新しい畳は国産も中国産も見た目が非常に似ているため実物を触った上で畳屋の説明を聞かないと消費者にとってその違いを認識することは難しい。また、畳屋でさえいぐさの種類によって異なる「価値」をうまく説明できていないケースが多いと感じる。

さらに畳に使われる「いぐさ」は天然素材のため、劣化をする。

そのため、畳の部屋があるということは「畳替え」によって定期的なランニングコストが発生する空間なのだ。

以上の理由から、高額な国産畳を選ぶ事が魅力的な選択であるかどうかは

消費者は感じづらいのである。

ところでいぐさの「価値」はどのようにして決まるのか。

いぐさの「価値」はいぐさの生産量や需要から生まれる相場、生産地の栽培・製織方法などの要素から主に成り立つ。この部分において、私はいぐさの産地;熊本県八代市で畳表を売買する卸問屋に従事していたため、いぐさの違いを上記の要素から説明する事ができる。しかし、畳屋は産地から離れた地域で活動しており、異なるいぐさの価値を伝える事が難しい。

この部分は「地域の優位性」が働くため、完全に解消することは難しい。

現状としては畳屋の1畳あたりの利益は増えておらず、仕事量は

減少しているためこの辺りも畳屋サイドの課題である。

まとめ

むしろ、消費者の方にとっても「自分達で日本の文化を捨てている」側面があることにも向き合っていただきたいと私は思う。

これまで私はパリやマレーシア、ベトナム、シンガポールへ行ったことがあるが、「靴を脱いで自然素材の中で暮らせる文化」は見られない。

畳あっての日本の特有な風習である。

もちろん、消費者にとって「ランニングコスト」は日常生活からなるべく切り離して生活をしたいもの。昨今の物価高ラッシュや自然災害などの先行きの見えない将来への備えに回すのは生活を営んでいく上でごく自然な成り行きである。

畳を扱う私たちが、消費者に国産いぐさを用いた畳の「価値」を正確に伝える事ができなければ、将来的な表替えは選択肢から外れ、家を大切にメンテナンスをしている方でさえ、「畳替え」の優先順位の最下位となる。

結果、畳の部屋だけはメンテナンスの対象から外れ、むしろ畳の部屋を

フローリングにする選択が多くなっている。

この環境が私の少年時代から無意識に育まれた畳に関する嫌悪感であると

振り返る。日々の消費に関しても合理的な選択は大切だが、文化的にも日本人としても意義のある消費ももちろんありなのではないかと、

非常に厳しい畳需要の減少を見ながらこの記事を記す。

 

著者

反頭 陸/たんどう りく

1999年生まれ

熊本県八代市千丁町出身


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