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何で熊本県八代市でいぐさ栽培が始まったの?

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Part1 熊本県南部に位置する熊本県八代市。 畳の原料である「いぐさ」の生産が盛んな地域であり、国産畳に使用される95%は八代産の いぐさが使われております。 そこで本記事では、なぜ八代市でいぐさ栽培が 始まったのか述べていきます。 目次: -いぐさの神 岩崎主馬忠久 -熊本産いぐさ栽培の起源:「千丁町」 ①なぜいぐさの栽培が「八代市」で始まったのか? [いぐさの神 岩崎主馬忠久] 時は遡り、南北朝時代。 八代一帯は当時海でした。 その中でも八代市千丁町の上土(あげつち)は 海辺の重要な拠点でした。 そこで上土に城を築き、岩崎主馬忠久(いわさきしゅめのただひさ)が当主となりました。 この上土城の跡が、現在の岩崎神社であります。 この地域では水はけが悪く、作物が育たない事が町民の悩みでありました。 そこで、永生2年 (1505年)岩崎主馬忠久が町民に産業としていぐさの生産を勧めました。ここから上土城一帯でのいぐさの栽培が始まりました。 【熊本産いぐさ栽培の起源:「千丁町」】 現在は代々受け継がれてきた地で、 真心込めていぐさを育てている方々 がこの業界を支えております。 しかし、当時は畳を使用する事自体が 位の高いものに限られました。 そのため、江戸時代までは細川藩が「お止草」 という制度をとっておりました。 いぐさの栽培は千丁町の太牟田・新牟田・上土・新開・下村の5カ所の村でのみいぐさの生産が許されました。 これが「お止草」という制度であり、千丁町が熊本県のいぐさ栽培の起源となったのです。 畳を一般人が使用する事が可能になったのは 明治になって以降と最近の話でした。 お止草の廃止以降は八代の地域を中心にいぐさの栽培がされるようになりました。昭和1955年代から八代市の畳表産業は好況を迎え、ピークの絶頂である1994年から業界の存続が危うまれる今日まで日本一の畳表・いぐさ生産は日本一であり、 "熊本表"の名を揺るぎないものにしました。 そして、その起源であったのは千丁町だったのです。 [まとめ] 岩崎主馬忠久が、いぐさを八代市千丁町で 奨励した事が熊本表の始まりであり、死後は いぐさの神として千丁町では祀られています。 500年以上前にこの地で畳産業の 礎となり、繁栄と衰退を見届けた岩崎神社。 衰退の一途を辿る畳業界に歯止めをかけ、 かつての畳産...